「奈良の紹介」カテゴリーアーカイブ

奈良鹿と共にある奈良の国

奈良には現在1.400頭近くの鹿が生息しています。

夏の若草山

奈良の鹿は、国の天然記念物に指定されていて、奈良市の春日山から奈良公園にかけて、野生の鹿として自由に暮しています。奈良に暮らす人々と鹿の関係には、長い歴史と繋がりがあり、話すと、とても長い話しになるのですが、少しかいつまんで説明したいと思います。

奈良の鹿が歴史に登場するのは万葉集が編纂された頃からです。その頃、万葉集に登場する鹿は純粋な野生の鹿でした。767年に藤原不比等により、春日の御蓋山に春日大社が創建されました。氏神して祀られた鹿島神(武甕槌命)は鹿島神宮(茨城県)から白鹿に乗り遷られたと、伝えられています。この白鹿が奈良の鹿のルーツであると語られる事から、奈良の鹿は神鹿と呼ばれ奈良の人々に大切にされるようになりました。

長い歴史の間大切にされてきた奈良の鹿ですが、明治の初期、乱獲や食料不足、病気などにより、数は激減し38頭まで減り絶滅の危機に瀕する時期がありました。この状態を憂いた人達により1891年、春日神鹿保護会(現在の奈良の鹿愛護会)が設立されました。以降保護された状態で数も回復してきたのですが、戦中戦後の混乱期、密猟にあい、また再び79頭まで激減してしまうことになりました。その後、社会が安定し愛護会と奈良の人々に守られ現在の状態へと続いています。1957年には、国の天然記念物の指定を受け保護活動が積極的に進められ、また奈良公園や春日大社近辺で奈良の鹿に会えるようになりました。

さて奈良公園では、鹿と触れ合える鹿せんべいが販売されています。鹿せんべいは、はっきりとはしませんが、江戸時代前期にはすでに販売されていたようで、『大和名所図絵』にも描かれています。奈良公園に来る楽しみの一つである、鹿せんべいも、こんなに古くから続いているという事、さすが奈良だな〜と奈良県民ながら驚く事だらけです。長い間現在に至るまで、奈良と鹿の繋がりは切っても切れないものなのです。

今年2月頃より〈新型コロナウィルスの影響により、インバウンド、観光客激減!鹿せんべいが貰えなくなり奈良の鹿が凶暴化!街中をうろつく姿を発見!〉などとテレビやメディアで取り上げられ、見る人の興味をそそるように、何度か放送されました。ですが、鹿せんべいが貰えないから街中を彷徨く、、、いえ!そんな事は無いのです。奈良の鹿は以前から街中を歩いていたのです。ですが確かに見かける数が増えたのも事実としてあります。奈良鹿は野性なので、鹿園内の鹿以外は自由に山や公園を、歩き回っています。観光客が多くいると人が垣根となり、そこから外えと行きにくい、ですが人が歩いて居ないと垣根が無いわけですから、延々と歩いて行ってしまう、、、という事ではないか?と私は考えます。鹿が鉢植えを食べちゃった!と報道されていましたが、古くから奈良公園付近に住んでいる高齢の方がこんな事を仰っていました。

「昔からこの辺に住んでいる人は、塀の外に木植えたり花植えたりしないよ〜そんなんこの辺の常識やわ〜」

奈良の鹿は野性で自由です!人と鹿が穏やかに共存して暮らしている。世界で唯一の奇跡の街!奈良なのです。

もっと詳しく奈良の鹿を理解したい方は、此方を↓

一般財団法人奈良の鹿愛護会

参考資料:Wikipedia、春日大社ホームページ、奈良の鹿愛護会ホームページ、

御代替わり

令和元年五月一日 新しい時代が始まり令和の時代となりました。

御即位の儀式が次々と行われるなか、御代替わりの締めくくりともなる、大嘗宮の儀が皇居内に建てられた大嘗宮にて執り行われ、それに伴い全国の神社でも大嘗祭当日祭が行われました。

春日大社 林檎の庭

毎年行われる新嘗祭ですが御代替わりの年は大嘗祭となり、新天皇より賜った御神饌を四つのお社に供えて大嘗祭が行われます。

大嘗祭当日祭では特別な祭祀でのみ奉納される舞楽『太平楽』が林檎の庭にて舞われました。

舞楽 太平楽

奈良の夏の定番.なら燈花会

すっかり奈良の夏の定番となりました、なら燈花会が8月5日(月)〜8月14(水)の10日間、8つの会場で今年も開催されます。広大な奈良の、緑溢れる奈良公園周辺に、2万個のろうそくが灯されます。令和最初のなら燈花会どんな見どころがあるか、少しご紹介させていただきます。

(春日野園地)  東大寺南大門横に拡がる芝地に燈花会の燈が、まるで花畑のようにともされます。燈の向こうには、ライトアップされた東大寺大仏殿の鴟尾が金色に輝いています。

(浮雲園地)  天の川をイメージしてロウソクを配置されたこちらの会場では、毎年祈りを込めて灯りを灯す『一客一燈』に参加できます。ハートの燈が可愛くてカップルにぴったりです。

(浅茅ヶ原)  竹のオブジェを配した此方の会場は木々の間に灯された灯りとオブジェが幻想的な陰影の美しさを醸し出して古の都を彩ります。

(浮見堂)  鷺池の周りと浮見堂に配された灯りが暗闇の中に浮見堂を浮かび上がらせ、水面にはキラキラと星のように灯りが写りその儚い美しさを際立てます。

(猿沢池・五十二段)  采女伝説の猿沢池周りと、北側五十二段の階段にも燈花会が灯されます。猿沢池南側からは池の向こうにライトアップされた興福寺・五重塔が写りこみとても美しいです。

(春日野国際フォーラム 甍〜I・RA・KA〜)  建物前ではフードコンテナとcafe がオープンします。建物中庭ではロウソクの灯りとインタラクションされた樹木ライトアップがキラキラ拡がります。

他にも興福寺、奈良国立博物館、東大寺、春日大社もライトアップされます。

毎年来られる方、初めて来られる方も悠久の時が流れる古の都、奈良の夜にお越し下さい。

なら燈花会

 

奈良公園の秘密兵器

奈良公園へ来る方々は何を目的に来られるでしょうか?なんと言っても第一人気は鹿さんたちですよね!世界中どこを探しても野生の鹿がこんなに沢山街中で繁殖していて、住民と共存しているという場所は他にはありません。学術的にも大変珍しい場所だそうです。

若草山麓

さて、鹿がこんなに沢山いるのに糞だらけにならないと言う事に不思議を感じませんか?奈良市民がお掃除してる?公園管理が行き届いてる?ではありません、奈良公園、若草山、春日山原始林には沢山の糞虫が存在しています。彼らはとても小さくて殆ど気がつきませんが、沢山存在しているのです。

糞虫

糞虫と聞いても何それ?て方が多いかも知れませんね、ファーブル昆虫記のフンコロガシならご存知ですか?実は奈良公園は『日本の糞虫の聖地』と呼ばれるほど糞虫たちが数多く生息しています。糞虫はコガネムシの一種で日本国内では160種類近くが生息しています。その中で50種類ほどが奈良公園で観察することができます。日本には、あの有名なフンコロガシは居ません。少々地味ですがコガネムシの小型のような姿をしています。見た目は地味ですが仕事は凄い!奈良公園の鹿の数は約1200頭、糞の量はなんとなんと1日1トン近くにのぼるそうです。それがそのまま放置されていても、あくる日には目立たなくなり、そして土となる。それは全て糞虫が働いてくれているからです。彼らは糞を食べて分解し排出する、糞虫が分解してくれた土は木や芝の栄養分となり、良い木や芝が育ちます。育った芝を又鹿が食べて、、、と循環 され命の輪が繋がっているのです。この美しい奈良公園と鹿の生活が保たれているのは糞虫のおかげといっても過言ではないと思われます。

奈良町に『ならまち糞虫館』が出来ています。興味のある方は一度ご覧いただいてはいかがでしょうか。

万葉の古都奈良

平成の世もあと数日となり、いよいよ新しい時代令和になります。この令和という元号は、万葉集から引用されたと発表されています。万葉集とは、奈良時代末期に成立した日本最古の和歌集です。和歌の原点である万葉集は、時代を超えて読み継がれながら後世の作品にも影響を与えている、非常に重要な史料であると言われています。

新元号『令和』は万葉集「巻五」 梅花の歌 三十二首の序文『初春の令月(れいげつ)にして 気淑(きよ)く 風 和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ) を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の 香を薫(かお)らす』 から引用されたもので、初めて日本の古典(国書)から選定されました。奈良には万葉集所縁の地が其処彼処にあり、万葉歌碑も彼方此方に建てられています。それではいくつかご紹介します。

所在地 登大路町/奈良県庁東交差点北東

『見渡せば春日の野辺に霞み立ち 咲きにほへるは桜花かも』 万葉集 巻十 1872 作者未詳

『遠くを見渡すと、春日の山裾の野辺一帯に霞が立ち込めて、その中に美しく照り映えて咲いている花、何と美しい、あれは桜花であろう』この桜花はいまのソメイヨシノではなく、山桜です。この歌碑は4月にオープンした奈良公園バスターミナルの東側、奈良県庁東交差点の北東に建てられています。この辺りは雲井坂と呼ばれた場所で名所奈良八景の一つに数えられています。(奈良八景とは ・・・*東大寺の鐘 *南円堂の藤 *佐保川の蛍 *猿沢池の月 *春日野の鹿 *三笠山の雪 *雲井坂の雨 *轟橋の行人)

所在地 東大寺 真言院境内

『すめろきの御代栄笑むと 東なる みちのく山に金花さく』 万葉集 巻十八 4097 大伴家持

『わが大君の御代がますます栄えるであろうと、はるか東の陸奥の国の山に黄金の花が咲いたよ』と詠み解くそうです。これは聖武天皇が東大寺の盧遮那大仏の鋳造を発願されたおり、その塗金に必要な金を遠く陸奥の国(福島県、宮城県、岩手県、青森県)より献上された この天皇の世はますます栄えるであろうとの喜びを家持は詠っています。

所在地 手向山八幡宮境内

『秋萩の散りまがひに呼び立てて 鳴くなる鹿の聲の遥けさ』 万葉集 巻八 1550 湯原王

『秋の広々とした野、今しきりに萩が散り乱れています。折しも遠く妻を呼ぶ鹿の鳴き声が遥かかなたから聞こえてきますよ』湯原王は、志貴皇子(父は天智天皇)の子で、王族の一人として歌を楽しみながら平城の世を風雅に生きた人物です。

今回ご紹介した三つの謳は奈良公園近くにあるものばかりです。まだまだ沢山の万葉歌碑があちこちに建立されていますので、この良い季節に万葉歌碑巡りをされてみては如何でしょうか。

参考 : Wikipedia. 奈良市広報 万葉ゆかりの地をたずねて 〜万葉歌碑めぐり〜

岡山放送 『なんしょん』の番組収録がありました

先日、岡山放送局の岡山県、香川県で放送されているローカル生活情報番組『ミルンヘカモン!なんしょん』という番組の収録で吉本若手人気芸人さん《トット》のお二人が、ならや東大寺店に来られました。 ならや東大寺店は東大寺門前 夢風ひろば内にあります。ここは釜飯と甘味とお土産のお店です。釜飯はご注文をお受けしてから一釜づつ炊き上げ、ホカホカの釜飯がご賞味いただける事で人気です。トットのお二人と岡山放送局のスタッフは17:00くらいに来られました。手慣れたスタッフの方々により手際よくセッティングされ、撮影はスタートです。先ずは炊きたて釜飯の撮影、その間に当社 社長柳澤と打ち合わせです。続いてトットのお二人は釜飯を食べながら柳澤とのやり取りでの撮影です。テンポ良いお二人に負けず劣らずテンポの良い社長柳澤が面白く現場はとても和やかで、楽しい撮影でした。鹿まんじゅうかのこも大絶賛!

帰りには記念撮影もして下さりありがとうございました。

またプライベートでもお越し下さいね!

NHK《旬感☆ゴトーチ!》中継されました

3月4日にNHK総合テレビ《旬感☆ゴトーチ!》の中継が若草山麓でありました。当日は朝からあいにくの雨、スタッフの方達は雨の中ビショビショになりながら準備をされていました。先ずは菊一本店前の山麓で奈良県出身の女性タレントさんが鹿せんべい飛ばしを体験、特大鹿せんべいをフリスビーのように飛ばした途端に鹿さん達が食べてしまいます(笑) 。さて計測の方法は投げた煎餅を食べにきた鹿さんの中で一番遠い位置にいる子の右前足位置をはかるそうです。鹿さんが煎餅を咥えて遠くに行ってしまうとその位置になるそうなのでその場合はラッキーですね

続いて菊一本店店内へ、奈良局の男性アナウンサーが伝統の打ち刃物の紹介と銘打ちの実演を紹介くださいました。当店きっての銘打ち師平井さんの技がキラリと輝いていました。

次にここでのみ食すことが出来る珍しいうどんのルーツといわれる『鎛飥(はくたく)うどん』の紹介です。コシともちもちした食感の麵に出汁の効いたつけ汁がとてもマッチして大変美味しい!と言っていただきました。

 

中継が終わった頃に雨が止み残念でしたが、雨の若草山も又いとおかし、、、という事ですね(^o^)

旬感☆ゴトーチ!

 

元興寺節分会

2月3日は節分です。家庭では節分に豆まきをして鬼を祓いますが、最近では巻寿司の丸かぶりも一般的になってきました。その年の恵方に向かって言葉を発せず一本丸ごと巻寿司を食べます。(今年の恵方は東北東)この丸かぶりが全国的になったのはここ数年…。以前は関西を中心とした行事だったのですが、コンビニで売られるようになるほど全国レベルの行事になりました。

節分とは雑節(季節の節目の事)の一つで立春の前日(およそ)の日の事となっています。季節の変わり目には邪気が生じると考えられた事から鬼を祓う豆まきが始まったとされています。奈良には寺社仏閣が多数あります。それぞれの寺社仏閣では節分の行事が行われます。昨年、奈良町にある元興寺の節分会に伺いましたので少しご紹介します。

元興寺は奈良市中院町に位置する〈古都奈良の文化財〉の一部として世界遺産に登録されています。蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院 法興寺(飛鳥寺)が移転した寺院です。元興寺節分会は火渡り修行で知られています。波切不動明王立像と宝山寺湛海不動明王坐像を本堂内陣に遷座し行事は始まります。ボウ〜〜という法螺貝を吹きながら行者たちが入場します。続いて竹内流の演武奉納があります。熟練の剣士に混じり外国人、女性剣士もおられ美しい演武が奉納されます。

その後、宝弓の儀がとり行なわれます。行者により六方に矢が放たれ結界が張られます。魔除けになると云われる矢を受け取った見物客は幸運ですね。次に、宝剣の儀があり魔が切られます。

元興寺住職の経典の後、護摩壇に火がくべられます。

護摩壇は火がはいると凄まじ勢いで炎と煙が立ち上り辺り、一面真っ白になり、読経を唱えながら次々と護摩がくべられ護摩壇は灰となります。

燃えつきた灰はゴザの上に敷かれ、その上を素足で歩く火渡りが始まります。火渡りは厄除け、招福、無病息災などのご利益があると言われており、老若男女が行者に助けられながら灰の上を渡って行きます。

その後豆まきがあり、その年の年男、年女、来賓によって『福は〜うち、〜鬼は〜うち〜』の掛け声で豆がまかれます。元興寺は『八雷神』や「元興寺の鬼」(飛鳥時代に元興寺に現れた鬼)の発祥地だということから「鬼は自分の内から出るように」と願ってそういう掛け声となったそうです。

さて、これを読んで元興寺の節分会に行ってみようと思った方、穴が開いてもいいと思う上着でお出掛けください、、、ね笑

元興寺公式サイト

参考:Wikipedia・奈良市観光協会サイト