第70回 正倉院展開幕

今年も恒例の正倉院展がはじまりました。今年は奈良国立博物館で開催された記念すべき第70回目ということもあり、大変素晴らしい宝物が多数出陳されています。

正倉院展とは?などと説明するまでもなく、毎年多くの方々が正倉院展に来られる事を楽しみにしてくださっています。

今回は螺鈿、象牙、玳瑁など美しい細工をされた工芸品が多数出陳されています。こちらから2点ご紹介します。

《玳瑁螺鈿八角箱》献物箱

仏前にお供えする献物品を入れた箱ではないかと言われています。木製で全体が玳瑁貼りです。文様の形をくり抜き螺鈿で唐花文、蓮華、鳥などの文様をあらわしています。玳瑁は黄色と焦げ茶色に彩色された上に貼られおり浮き上がり色の変化をもたらしています。蓋の中心の花には琥珀が施されていて赤い色が印象的です。全体の模様には蓮の花葉に鴛鴦があしらわれ華やかに表現されています。

《平螺鈿背八角鏡》螺鈿飾りの鏡

この鏡は聖武天皇遺愛の鏡と伝えられています。鏡体は白銅製で外形が八弁を型どるハ花鏡 と呼ばれる形式になっており表面はやや凹面をなしています。ヤコウガイや琥珀トルコ石などで花弁の模様が施されています。鎌倉時代に盗難にあい壊れていましたが、明治時代に修復され美しい姿に蘇りました。

その他に、平成25年〜27年の3年間にかけて宮内庁正倉院事務所によって行われた特別調査の成果を見せるべく素晴らしい麻の宝物品も多数出陳されております。平成最後の正倉院展、毎年楽しみされている方はもちろん!一度も来た事がない方も百聞は一見にしかず!是非自分の眼で正倉院の宝物を見にいきませんか。

〜11月12日(月)までです

参考:奈良国立博物館ホームページ・Wikipedia

 

行基さんは1350歳

近鉄奈良駅を出ると先ず目に入って来るのは行基さんの噴水です。奈良県民の定番待ち合わせ場所、東京渋谷駅のハチ公前みたいな感じです。

行基さんの噴水は良く知っていても、どんな人だったのかは知らない人が多いのではないでしょうか、今年1350歳を迎えられるので少し調べてみました。

行基は668年 河内国(大阪府)に生まれました。父は百済からの渡来人の子孫で、15歳で出家し僧となり道昭(法相宗の開祖)から教義を学びました。その頃の仏教は貴族の為のもので貧しい人々には縁のないものでした。仏様の教えを民衆にも伝えたいと思った行基は704年生家を家原寺という寺にして貧しい人々に門戸を開きました。行基はもっと多くの人に仏教を広めたいと全国を行脚して教えを説いて回り、さらには人々の為に池を掘り川の治水工事をし橋をかけ、道を整備しました。その頃になると行基は民衆から「行基菩薩」と崇められるようになりました。行基の教えが広まると朝廷はその力を恐れ布教活動を禁止しました。それでも辞めず布教を続けること数年、朝廷はとうとう活動を認めるようになりました。

743年聖武天皇は国家安寧を祈願し大仏建立を計画しました。大仏を作る為には多くの人材と資材が必要となります、そこで民衆に慕われ土木技術に長けている行基に目を付けた朝廷は協力を求めました。そして大仏建立に尽力された行基さんでしたが、その完成を見届ける事なく749年2月23日 81歳で亡くなられました。

今、近鉄奈良駅前噴水広場に立つ行基像は3代目だそうです、行基像は東大寺に向かって建てられています。1代目2代目は400年の歴史をもつ赤膚焼で作られていましたが、心ない人により壊されたり風雨により傷んだりした為に3代目はブロンズ像で作られることになりました。しかし実はこの初代行基さんは3体作られ、霊山寺(奈良市)と九品寺(奈良県 御所市)に寄贈され今でも現存しております。そしてこちらの行基さん達も東大寺の方角を向かれて建てられているそうです。今も昔も変わらず民衆に奈良県民に愛され親しまれている行基さん、敢えてさまではなく、さんと呼ばせていただきたい。10月20日(土)奈良公園 飛火野で《行基さん1350歳大感謝祭》が開催されました。

参考 : Wikipedia  奈良県ホームページ  ブリタニカ国際大百科辞典

東日本大震災 福島県産あさか舞応援フェア

奈良市と福島県郡山市は昭和46年より姉妹都市を結んでいます。

そのご縁は万葉集にあります。奈良朝廷の頃みちのくの按察使として安積の国に遣わされた葛城王に端を発する春姫と次郎の悲恋物語(采女伝説)や続日本紀にも安積郡の名前が出て来る事などから、大和と安積(郡山)には交流があったことは解ります。

9月24日福島県郡山市の品川萬里市長、JA福島さくらの結城政美組合長一行さまは奈良市の采女神社で行われている采女祭りに参加する為に奈良市を訪問されました。

奈良市の仲川げん市長、郡山市品川萬里市長御一行は当社社長柳澤他と共に東日本大震災復興を祈願する為春日大社に正式参拝致しました。

春日大社は東日本大震災の後、毎日の朝拝の折に復興をお祈りして祝詞をあげておられます。その回数は今までで22万回を超え祈願のお札は23本になっているそうです。

当社社長柳澤は大震災以降福島県を支援すべくさまざまな交流を行なってきました。今回は原発事故による農産物の風評被害を払拭するお手伝いをと、福島県産(あさか舞)を使った春日はくたく饂飩を地元の食文化団体と協力して開発販売をする事になりました。

この日、春日大社参拝後菊一本店にてあさか舞を使った春日はくたく饂飩やあさか舞の釜飯を御一行様に振る舞うべく試食会をもようしました。

はくたく饂飩とはうどんの元になった食べ物で、かつての日本では神前に供えられていました。はくたく饂飩の事は以前に詳しく説明していますのでこちらをお読み下さい。

うどんのルーツ 餺飥(はくたく)うどん

菊一では今後も姉妹都市として力になれる事があれば支援を続けて行きたいと思っております。

 

 

梅乃宿酒造 酒蔵に伺いました

奈良は清酒発祥の地と言われています。日本酒はもともと神に捧げる飲み物として造られていました。

酒の歴史は古く、長屋王邸の跡地から発掘された木簡にもお酒の造り方が残されていました。それまで造られていたお酒は濁り酒でしたが、室町時代に奈良の正暦寺で造られたのが清酒の発祥といわれ、その造り方は仕込みを三回に分けて行う(三段仕込み)、麹と掛米の両方に白米を使用する(諸白造り)、酒母の原型である(菩提酛造り)、さらには腐敗を防ぐための火入れ作業を行うなど、近代醸造法の基礎となる酒造技術を確立していました。現在の清酒造りの原点は奈良にありと言っても過言ではありませんね。

今回私がお邪魔したのは奈良県葛城市にある梅乃宿酒造さんです。梅乃宿さんは葛城山の麓で周りには畑や水田のある風光明媚な場所にあります。此方の酒蔵は日本の酒の伝統の造り方を守りつつ、新しい酒文化の創造をする蔵として、美味しさを求めながら楽しさも探っていくということにも挑戦されているそうです。

梅乃宿さんは酒蔵見学をさせていただけます。酒蔵で酒造りの工程を案内していただいたあとは、楽しい蔵人検定もあります、受けた方は修了証もいただけますよ!

蔵では沢山の種類の果実酒もあり日本酒が苦手な女性の方にも良いですね。なかでもあらごし梅酒は奈良県吉野産の梅の実を使ってあり、とろりとした口当たりは絶品です。

昨今世界中で日本食がブームとなっています。日本食には、やはり日本酒が合うという事で海外でも売り上げを伸ばしています。梅乃宿酒造さんもアメリカを皮切りに今では22カ国に輸出されています。日本の伝統を守りつつ新しい挑戦をする!菊一と共感するものがありますね。さらに女性社長が活躍している!というところも共通点ですね。

梅乃宿酒造.        正暦寺

参考: 正暦寺ホームページ    梅乃宿酒造ホームページ   Wikipedia

 

黒塚古墳ってすごい


黒塚古墳って知ってますか?奈良県天理市の柳本古墳群の中の前方後円墳のひとつです。

大きさは全長13m高さ11m 築造時期は3世紀末〜4世紀前半で国の史跡に指定されています。あの奈良を舞台にしたドラマに出てきた古墳でも有名ではないでしょうか。黒塚古墳からは33面の三角縁神獣鏡と1面の画文帯神獣鏡が出土されています。

三角縁神獣鏡について少し調べてみました。三角縁神獣鏡は日本各地で400面近くが発見されています。魏の国より送られたものとされていますが、何故か中国大陸では1面も発見されていません。鏡には魏の年号名をもつものもあり魏より卑弥呼に送られた100面もこれにあたるとされています。しかしそれも定かではありません。鏡のことを調べてみると沢山の所説があり古代へのロマンが広がりますよ。

黒塚古墳には併設の黒塚古墳展示館があります。

ここには実際に出土した三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡、リアルに再現された竪穴式石室の展示がみられます。

そして私が一番驚いたのは古墳の上に上れる事なのです!古墳って下から眺めるものだと思っていましたが、ここでは上に上って前方後円墳をみることができるので、形を自分の眼で確かめられます、これちょっと感動しますよ!

古代史好きな方、黒塚古墳お勧めです。

Wikipedia、黒塚古墳資料参照

天理市ホームページ・黒塚古墳展示館

吉野にMY箸作り体験に行きました

休日に奈良県吉野郡下市町の吉辰さんに自分でお箸を作る、MY箸体験に行ってきました。吉辰さんは奈良県の吉野杉、吉野桧を使って懐石用のお箸を主に作っておられる会社です。

割箸というと環境問題で森を守るなどの議論がされますが、こちらの箸は植林、枝打ち、間伐と大切に育てられた木から建築材を製造し残りの部分を使って製造されており、木材の端材を余すところなく利用するという環境に配慮されたものです。国産の割箸を利用することにより、日本の林業が活性化され緑豊かな山林が育まれるのです。

今はお箸以外にも木を使ったトレーや箸置き等オシャレなテーブルウェアーになる道具もいろいろ手掛けておられます。


先ずはお箸の種類と名前の由来、吉野で何故杉の木が植えられたのか?などの興味深いお話をしていただけます。
その後は工房の中を見学です。


工房の中は木の良い香りがして何かホッとするような気分になります。そして、お箸を乾かしている姿は、まるでお箸の華が咲いたようで壮観でした。


さてマイ箸作り体験です。道具は全部用意して下さっています。使用するのは、初めて見た小さな可愛らしいカンナと仕上げ用のサンドペーパー、木型だけです。


実は私、木を削るところからやるのかと思っていましたが、
もう既にマイ箸体験用のお箸はほぼお箸の形になっていました。
こんな形の木のはめ板に削るお箸を入れて、小さなカンナで角を落としていきます。

まずは吉辰社長自ら作って見せて下さいます。
カンナがけをやったのは初めてでしたが、くるくると細い木屑がキレイに削れていきます。角を丸くしたい人は4.5回くらい、削るとキレイな角の取れたお箸になります。


最後に箸先をサンドペーパーで歯ざわり良くなるように擦りとれば出来上がりです。初めてでも15分程で出来上がります。

自分で作ったお箸で食べるって最高ですねー!杉箸は滑らず滑らかで小さな豆もつまみやすくて使用感は抜群です。

菊一でも吉野杉を使った爪切りを販売しています。木を使っている事で温かみが感じられます。

吉野は少々遠いですが風光明媚で奈良名物柿の葉寿司や酒蔵などもあります。

奈良市内から車で約1時間ドライブがてらにMY箸体験オススメです。

吉野杉懐石箸  -吉野杉箸製造卸- 吉 辰 商 店

近鉄奈良駅近辺

今回は近鉄奈良駅近辺をご紹介します。

先ず駅に降り立つと、せんと君がお出迎えしてくれます。記念撮影できるようになっていますからせんと君とツーショットを撮ってください。

駅を出ると奈良駅待ち合わせの定番、行基さんの噴水があります。アーケードが出来てからはひがしむき商店街に入るのに雨に濡れなくなりましたね。

ひがしむき商店街は昔ながらのお店と新しいお店がまじりあっていて観光客でいつも賑わっています。

商店街を抜けると三条通りです。三条通りはJR奈良駅から春日大社一の鳥居へとつながる道ですが、まず目に入って来るのは猿沢池です。

猿沢池で最も知られているのは中秋の名月の夜に行われる采女祭りですね!月明りの夜に行われる悲しい悲恋物語のお祭りです。また、池を挟んでみる興福寺の五重塔の景色は誰もがカメラマンになる絶好の写真スポットです。

そしてその興福寺ですが阿修羅像等を展示している国宝館が今年リニューアルオープンしました。さらに平成22年より行っている興福寺中金堂の平成再建工事も本年10月落慶予定です。さて、奈良に遊びに来られるお客様のお目当てNO1は、なんといっても奈良公園の可愛い鹿さんです。

奈良の鹿は野性の鹿なのですが、とても人に慣れていますからいたずらさえしなければ安心です。鹿さん達、とってもお行儀がよくてお煎餅をもらう時、頭を下げてご挨拶をしてくれるんです。この可愛い姿を見たい気持ちはよーく分りますがじらさないであげて下さいね、鹿さんに囲まれてしまいますよ。6月1日~6月30日は鹿苑で子鹿の公開が始まります。子鹿ちゃん達がお母さん鹿のおっぱいを飲む姿を鹿苑までぜひ見に来て下さい。

次に近鉄奈良駅西側もご紹介しておきましょう。

西側にはあまり観光客の訪れない漢国神社(かんごうじんじゃ)があります。

漢国神社の歴史は推古天皇元年(593年)まで遡るといわれ、たいへん歴史のある神社とされております。

境内にある林神社は日本初、饅頭を作ったという饅頭の祖・林浄因が祀られていることから、日本で唯一の饅頭の神社とされており、林浄因の命日である4月19日には毎年『饅頭まつり』が行われています。全国各地の菓子業者が神前にお菓子を献上する他、一般参拝者にも抹茶と饅頭がふるまわれるようなので(整理券が必要)興味のある方は一度参加されてはいかがでしょうか。

近鉄奈良駅周辺にはまだまだご紹介したいスポットがあるのですがそれはまた次回、、、

春日祭に行きました

春日大社にはいろいろなお祭りがあります。なかでも重要なお祭りが一月御祈祷始式、三月春日祭、十二月春日若宮おん祭りです。三月十三日は春日祭です。春日祭(申祭)は春日大社の例祭でその始まりは社伝では第五十五代文徳天皇の嘉祥三年(千百余年前)といわれていますが、それ以前にも奉仕されている史実があります。第五十六代清和天皇の貞観元年には庚申の夜に斎行され、それからは春二月冬十一月を祭日と定められました。これが申祭りの名のおこりであります。春日祭は奉られる濁酒の醸造始の神事です。春日祭は一般には非公開のため詳しくはご紹介出来ませんが、少し写真でご覧いただきます。

春日祭には天皇家よりの勅使御一行が来られます。勅使が来られる前に宮司以下神職によって御本殿の扉を開き奉るお祭りをされます。扉が開かれた後は二の鳥居前にて勅使をお迎えになられます。勅使一行はとりどりの装束を身に着けられ参勤されます。装束は華やかで中でも勅使の装束は縫腋の束帯というもので、長い裾を引いていてとても雅なものでした。始めに祓戸神社にて神饌をお供えし勅使のお祓いを祈願します。

勅使御一行お迎え

勅使祓戸神社参拝、

勅使御一行

勅使自らが神饌を担ぎ御本殿にお供えを奉ります。このように勅使自らが担ぐというのは他では見られない大変珍しい事だそうです。

神職がお供えのお神酒をご神前までお運びになられます。

御馬は神殿前、林檎の庭を三回引き綱に引かれながら廻ります。昔は8回廻ったそうですが、現在は3回になっているそうです。神殿前の階段は幅が狭く急なため馬は降りにくく、上手く降りられると皆ほっとしました。次に直会殿にて神職より勅使、辨代に饗膳お神酒を差し上げる直会の儀が行われました。その後は大和舞の奉納です。

この後勅使、辨代は位階.氏名の書かれた見参を受け取りご覧になります。ここはよく見えなかったのですが、真綿を左肩に受けられて拝舞の作法というのをされています。勅使御一行が退下された後は御扉を閉じ春日祭は終了しました。

春日大社は20年に一度執り行われる式年造替も終え御本殿は朱色鮮やかで大変美しくなりました。さらに今年は御創建1250年を迎えられたという事で大変おめでたく、それを記念して『春日大社のすべて』という特別展を奈良国立博物館で4月14日(土)~6月10日(日)の日程で開催されます。ご興味のある方は是非とも足をお運びになられてはいかがでしょうか。

奈良国立博物館、特別展 春日大社のすべて

直会にいただいた濁酒は発酵させただけの米麹の残ったお酒です。未発酵のお米は甘く口当たりの良いお酒でついつい飲みすぎてしまいますね。

参考:春日大社ホームページ

 

菊一本店付近・若草山麓

今回は菊一本店付近をご紹介したいと思います。菊一文珠四郎包永本店は若草山の麓にあります。

若草山は下から観ると三つの笠を重ねたように見える事から三笠山とも呼ばれています。高さは342m、広さは33haです。春は桜、夏は芝の緑、秋は紅葉、冬はすすきや雪化粧する時もあります。もちろん鹿さん達は自由に若草山の草を食んでいます。さて、若草山で一番有名な行事といえば、やはり冬の山焼きでしょう。

山焼きの前には花火が上がります。毎年思考を凝らした仕掛け花火も上がります。恒例の可愛い鹿さんの花火もあがりましたよ。

花火が終わるといよいよ点火です。掛け声と共に一斉に火がつけられます。菊一本店は山が目の前なので迫力が違います。お店の外は明るくなるほどです。冬の夜に山が真赤な炎に覆われる姿は圧巻です。よく何のために山を燃やすの?と訊かれますが、諸説ありますが、神事的な理由として山の頂上にある鶯塚古墳の霊魂を鎮めるためや、東大寺と興福寺のもめ事があったという説などありますが、ことの真相は定かではありません。山焼きの灰が肥料となり燃やすことで害虫駆除の役目も果たし、また春になると新芽が生えて夏には美しい緑の芝生に覆われるという自然の力をいかしたとても理にかなった方法なのです。

奈良公園から、若草山を観ると遠く感じるのですが実はそんなに遠く無いんです。東大寺〜二月堂〜手向山八幡宮〜と観て周ると…

もう若草山麓ゲートは目の前です!

もう1ルートおススメなのは春日大社さんを拝観して一言主神社でお願い事を一つして前の道をまっすぐ抜けると水谷神社、水谷茶屋があります。水谷茶屋は日本昔話に出てくるお家のようで、インスタ映えは間違い無しです!

そこから、すぐ前の階段を上るとそこはもう若草山の麓でゲートは目の前!ゲート左側には菊一ゆかりのある野上神社があります。このお話は以前のブログに出てきますのでご興味のある方は

こちらでhttp://kikuichi.com/blog/kikuichikanenaga2/

3月山開きになると春日山原始林は所々桜色に染まります。市街地から近接して原始林が存在することは大変珍しい事で、ひんやりとした原始林の中は鳥の声や虫の音も聞かれます。原始林の中で出逢う鹿さん達は奈良公園で見るのとは違って野性的に感じるかも知れませんね。

それから緑に覆われる夏の若草山。山頂からの夜景は新日本三大夜景にも選ばれた事もあり、夜景の美しさは格別です。

秋は紅葉です。紅葉の赤、銀杏の黄色、桜の茶色等々カラフルな色に染まる山々は遠目にも美しいです。又秋は若草山を山歩きするのにもぴったりです。心地よい風がすすきを揺らしてくれるでしょう。

冬は年に数回しか降りませんが雪景色が見られる事もあります。

春夏秋冬一年中美しい景色があり、身近で行楽が楽しめる、奈良、若草山にぜひ一度起こしいただければと思います。

興福寺 国宝館がリニューアルオープンしました

2018年1月1日興福寺国宝館が1年間の耐震補強工事を終えて、リニューアルオープンしました。

現在日本の国宝仏として指定されているのは、7世紀の飛鳥時代から13世紀の鎌倉時代までの128件が国宝指定されています。

その内の74件が奈良県所蔵の仏像の数です。さらにその内の17件は興福寺所蔵で日本一の数であります。

興福寺で最も有名な仏像といえば、阿修羅立像ですが、阿修羅像は八部衆の一体で現存する国内最古の阿修羅像です。興福寺宝物殿の解説では、阿修羅はインドヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』と表記されています。

今、若い女性の間で仏像ブームが起きていますね!その火付け役になったのは、この阿修羅立像です。

古代インド神話の阿修羅王は、帝釈天を向こうにまわして、荒々しい合戦を繰り返す悪神で、容貌醜怪な外道とされています。興福寺の阿修羅像はこの神が釈迦の教化によって仏法の守護神となった姿で、天界を暴れまわる鬼神のイメージはありません。

優しい少年のような眼差しと愁いをふくんだ表情は、観る者の心を引きつけて止みません。

国宝館では、大半の仏像をガラスケース無しで観ることが出来るので、他の博物館で観るのとは迫力が違います!他で見た事がある方も、もう一度観る価値があると思います。

興福寺は五重塔以外に御朱印人気の南円堂、ひっそりとしていて素敵な三重塔、北円堂などもぜひとも訪れてください。

東金堂と五重塔

五重塔

南円堂

北円堂

荒池から興福寺を観む
春日大社一の鳥居前からもすぐ近くです。

興福寺公式ホームページ  

参考Wikipediaより