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20年間ありがとうございました。

菊一グループ唯一の奈良漬けのお店として、お客さまにご愛顧いただいた漬菜栄吉は、2022年1月31日を以って閉店させていただきました。奈良の玄関口近鉄奈良駅に、お店を開いて20年間、誠にありがとうございました。

漬菜栄吉の奈良漬けが一番好きと仰って定期的に買いに来て下さっていたお客様、奈良のお土産に奈良漬を、と買って下さったお客様、20年間の心温まるふれあいや、エピソードもあり楽しい事、驚くことなど沢山あったなーと思い出されます。

漬菜栄吉の奈良漬けは、引き続き本店、JR奈良駅店、西大寺店にて販売しておりますので、今後とも何卒宜しくお願い致します。スタッフも他店舗にて元気に働いておりますので、漬菜栄吉の2人がどうしてるかなー?と気になった方は是非ともお越しいただければ幸いです。

本当にありがとうございました。

奈良鹿と共にある奈良の国

奈良には現在1.400頭近くの鹿が生息しています。

夏の若草山

奈良の鹿は、国の天然記念物に指定されていて、奈良市の春日山から奈良公園にかけて、野生の鹿として自由に暮しています。奈良に暮らす人々と鹿の関係には、長い歴史と繋がりがあり、話すと、とても長い話しになるのですが、少しかいつまんで説明したいと思います。

奈良の鹿が歴史に登場するのは万葉集が編纂された頃からです。その頃、万葉集に登場する鹿は純粋な野生の鹿でした。767年に藤原不比等により、春日の御蓋山に春日大社が創建されました。氏神して祀られた鹿島神(武甕槌命)は鹿島神宮(茨城県)から白鹿に乗り遷られたと、伝えられています。この白鹿が奈良の鹿のルーツであると語られる事から、奈良の鹿は神鹿と呼ばれ奈良の人々に大切にされるようになりました。

長い歴史の間大切にされてきた奈良の鹿ですが、明治の初期、乱獲や食料不足、病気などにより、数は激減し38頭まで減り絶滅の危機に瀕する時期がありました。この状態を憂いた人達により1891年、春日神鹿保護会(現在の奈良の鹿愛護会)が設立されました。以降保護された状態で数も回復してきたのですが、戦中戦後の混乱期、密猟にあい、また再び79頭まで激減してしまうことになりました。その後、社会が安定し愛護会と奈良の人々に守られ現在の状態へと続いています。1957年には、国の天然記念物の指定を受け保護活動が積極的に進められ、また奈良公園や春日大社近辺で奈良の鹿に会えるようになりました。

さて奈良公園では、鹿と触れ合える鹿せんべいが販売されています。鹿せんべいは、はっきりとはしませんが、江戸時代前期にはすでに販売されていたようで、『大和名所図絵』にも描かれています。奈良公園に来る楽しみの一つである、鹿せんべいも、こんなに古くから続いているという事、さすが奈良だな〜と奈良県民ながら驚く事だらけです。長い間現在に至るまで、奈良と鹿の繋がりは切っても切れないものなのです。

今年2月頃より〈新型コロナウィルスの影響により、インバウンド、観光客激減!鹿せんべいが貰えなくなり奈良の鹿が凶暴化!街中をうろつく姿を発見!〉などとテレビやメディアで取り上げられ、見る人の興味をそそるように、何度か放送されました。ですが、鹿せんべいが貰えないから街中を彷徨く、、、いえ!そんな事は無いのです。奈良の鹿は以前から街中を歩いていたのです。ですが確かに見かける数が増えたのも事実としてあります。奈良鹿は野性なので、鹿園内の鹿以外は自由に山や公園を、歩き回っています。観光客が多くいると人が垣根となり、そこから外えと行きにくい、ですが人が歩いて居ないと垣根が無いわけですから、延々と歩いて行ってしまう、、、という事ではないか?と私は考えます。鹿が鉢植えを食べちゃった!と報道されていましたが、古くから奈良公園付近に住んでいる高齢の方がこんな事を仰っていました。

「昔からこの辺に住んでいる人は、塀の外に木植えたり花植えたりしないよ〜そんなんこの辺の常識やわ〜」

奈良の鹿は野性で自由です!人と鹿が穏やかに共存して暮らしている。世界で唯一の奇跡の街!奈良なのです。

もっと詳しく奈良の鹿を理解したい方は、此方を↓

一般財団法人奈良の鹿愛護会

参考資料:Wikipedia、春日大社ホームページ、奈良の鹿愛護会ホームページ、

興福寺 国宝館がリニューアルオープンしました

2018年1月1日興福寺国宝館が1年間の耐震補強工事を終えて、リニューアルオープンしました。

現在日本の国宝仏として指定されているのは、7世紀の飛鳥時代から13世紀の鎌倉時代までの128件が国宝指定されています。

その内の74件が奈良県所蔵の仏像の数です。さらにその内の17件は興福寺所蔵で日本一の数であります。

興福寺で最も有名な仏像といえば、阿修羅立像ですが、阿修羅像は八部衆の一体で現存する国内最古の阿修羅像です。興福寺宝物殿の解説では、阿修羅はインドヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』と表記されています。

今、若い女性の間で仏像ブームが起きていますね!その火付け役になったのは、この阿修羅立像です。

古代インド神話の阿修羅王は、帝釈天を向こうにまわして、荒々しい合戦を繰り返す悪神で、容貌醜怪な外道とされています。興福寺の阿修羅像はこの神が釈迦の教化によって仏法の守護神となった姿で、天界を暴れまわる鬼神のイメージはありません。

優しい少年のような眼差しと愁いをふくんだ表情は、観る者の心を引きつけて止みません。

国宝館では、大半の仏像をガラスケース無しで観ることが出来るので、他の博物館で観るのとは迫力が違います!他で見た事がある方も、もう一度観る価値があると思います。

興福寺は五重塔以外に御朱印人気の南円堂、ひっそりとしていて素敵な三重塔、北円堂などもぜひとも訪れてください。

東金堂と五重塔

五重塔

南円堂

北円堂

荒池から興福寺を観む
春日大社一の鳥居前からもすぐ近くです。

興福寺公式ホームページ  

参考Wikipediaより

 

 

 

春日若宮おん祭り

春日若宮おん祭りに行ってきました。

春日若宮おん祭りは春日大社の摂社である若宮神社の御祭礼です。このお祭りは日本最古の文化芸能のお祭りで奈良の一年を締めくくると言ってもよいほどです。その起源は860余年前(1136年)にさかのぼります。当時、全国的な洪水飢饉のため万民が苦しんでいるのを憂いた関白「藤原忠道」は若宮神を春日野の仮御殿にお遷しされて、数々の芸能を奉納し丁寧にお祭りされました。その後、雨は止み作物豊穣となり天下が無事治まったという事で、以降毎年行われる事となったと伝えられています。

おん祭りといえば17日のお渡り式が知られていますが、中心行事の始まりは12月15日大宿所祭から始まります。大宿所は奈良市内餅飯殿町(もちいどの商店街)にあります。おん祭りを差配した大和国内の有力な士たちが精進禊斎をして祭礼前日に大宿所に集まりお籠りをすることから、大宿所と呼ばれるようになりました。

大宿所詣の行列は郷の神子・八島神子・奈良神子・がおん祭りに奉仕するにあたり大宿所でお湯立のお祓いを受けます。お湯立は巫女が笹の葉でお湯をふりそそいでお祓いをする儀式です。

16日は宵宮祭です。若宮神社に大和士が古式ゆかしく参拝し奉幣をします。夜に行われる田楽座の奉納は幻想的で厳かな雰囲気で見るものを魅了します。

17日のお祭りは暁祭より始まります。午前零時に御旅所にお着きになられた若宮様に朝食をさしあげる行事です。そして正午より始まるお渡り式は日使、御巫、細男座、田楽座、猿楽座、大和士、大和国内の大名の各々が御旅所に向けて、時代行列をする祭りのハイライトで最大のみどころです。

その後、行われる御旅所祭は若宮様の御前で祝詞に続き神楽や芝居などの古典芸能を奉納しお祭りは終わります。古の都奈良を代表するお祭り、おん祭りに一度お越しになられてはいかがでしょうか。

参考 春日大社ホームページ