行基さんは1350歳

近鉄奈良駅を出ると先ず目に入って来るのは行基さんの噴水です。奈良県民の定番待ち合わせ場所、東京渋谷駅のハチ公前みたいな感じです。

行基さんの噴水は良く知っていても、どんな人だったのかは知らない人が多いのではないでしょうか、今年1350歳を迎えられるので少し調べてみました。

行基は668年 河内国(大阪府)に生まれました。父は百済からの渡来人の子孫で、15歳で出家し僧となり道昭(法相宗の開祖)から教義を学びました。その頃の仏教は貴族の為のもので貧しい人々には縁のないものでした。仏様の教えを民衆にも伝えたいと思った行基は704年生家を家原寺という寺にして貧しい人々に門戸を開きました。行基はもっと多くの人に仏教を広めたいと全国を行脚して教えを説いて回り、さらには人々の為に池を掘り川の治水工事をし橋をかけ、道を整備しました。その頃になると行基は民衆から「行基菩薩」と崇められるようになりました。行基の教えが広まると朝廷はその力を恐れ布教活動を禁止しました。それでも辞めず布教を続けること数年、朝廷はとうとう活動を認めるようになりました。

743年聖武天皇は国家安寧を祈願し大仏建立を計画しました。大仏を作る為には多くの人材と資材が必要となります、そこで民衆に慕われ土木技術に長けている行基に目を付けた朝廷は協力を求めました。そして大仏建立に尽力された行基さんでしたが、その完成を見届ける事なく749年2月23日 81歳で亡くなられました。

今、近鉄奈良駅前噴水広場に立つ行基像は3代目だそうです、行基像は東大寺に向かって建てられています。1代目2代目は400年の歴史をもつ赤膚焼で作られていましたが、心ない人により壊されたり風雨により傷んだりした為に3代目はブロンズ像で作られることになりました。しかし実はこの初代行基さんは3体作られ、霊山寺(奈良市)と九品寺(奈良県 御所市)に寄贈され今でも現存しております。そしてこちらの行基さん達も東大寺の方角を向かれて建てられているそうです。今も昔も変わらず民衆に奈良県民に愛され親しまれている行基さん、敢えてさまではなく、さんと呼ばせていただきたい。10月20日(土)奈良公園 飛火野で《行基さん1350歳大感謝祭》が開催されました。

参考 : Wikipedia  奈良県ホームページ  ブリタニカ国際大百科辞典